090-4274-6607
〒659-0091 兵庫県芦屋市東山町28-19
レッスン時間/9時~20時ごろ 定休日/不定休
番外編(後編)「思いどおり」を演奏に反映させるために。すべての行動は心(意識+無意識)の反映〜「プロフェッショナルコース第1期」のレッスン内容紹介~
⑧ 演奏者が歌や朗読の練習をする「究極の効果」!
前回の⑦を受けてのお話です。
ここで確認しておきたい最も重要なことは、歌詞をつけ、声に出して歌う演習も、それを声優のように朗読する練習も、
すべては旋律へのイメージ(音色・表情・情景など)を深く意識に刻むためであり、
結局は冒頭の「どうしてもこんな音を出したいと思えば」のとおり、気持ちをそのように深く意識するための作業として行なう必要があるのではないかという事なのです。
練習の結果「その通り体が動いてくれる」ようになり、そうなれば「指も自ずと訓練されていく」といった結果も、それに付随して実現されるようになる。ショパンはそう言っているのです。
ショパンも私も、これほど「音楽で語る」ということを重視する理由は、もちろん聴く人の心に届く音楽を演奏するためですが、それだけではありません。
何よりも、
そうするほうがはるかに弾き易くなり、
さらにそれがピアノを弾くテクニックとなって、
身体に蓄えられていくからなのです。
つまり一石二鳥!!
それに気がつけば、「こんなに楽に弾けるようになれるのか!」 と、
きっと「目からうろこ」の思いをされる事でしょう。
これが「その通り体が動いてくれる」ように、必然的になった状態なのですから。
この究極の(本来の)ピアノの弾き方を、以前ブログに連載した壮年の初学者Tさん(ピアノを始められて2年半以上)が、全くの初心者であっても、これまでに数回ご紹介したとおり、「こんなに楽に弾けるのですか‼」と、すでに数え切れないほど何度も体感されているのです。
書道での手の使い方との共通点を、もう一度お話しておきましょう。
筆使いでも、筆先の感触を手で感じていないと、お手本どおりの字は書けません。そして筆遣いにも「こうすれば必ずこう書ける」という「やり方」があります。(私はそれを大学の半年の授業で、幸いにも高名な書道家に教わっていました。その教え方はまた、恩師の教え方にも通じるものでした。)
ピアノにも同じく、「必ずこうなる」という、筆さばきならぬ「指さばき」のようなものがあります。
でもそれを法則のように、決まったパターンだと知って教えている人は、書道の教師以上に、とても少ないのではないでしょうか。 どちらをする場合にも、それを知っていて手を動かし、筆先や指先の手応えや感触を頼りにして動かしてこそ、次の動きを始めることができるのです。つまり手指の動きは、常に次へ次へと「連鎖」していけば、驚くほど使いやすくなるのです。
小学生が習字で習う「の」の字は、右上から斜め下に向けて一気に筆を運び、一旦止めて、次の真上に持ち上げる態勢を整えるために、大きく円を描いて最後まで筆を運ぶ心の準備をします。そして、その動きに移るために、少し筆を浮かして紙との抵抗を減らしますが、その結果、ここの線の太さが細くなるのです、でも、それを知らずに、線の太さを細くすることしか頭にないのなら、その線はお手本の表面的な真似に終わり、ただ細くしただけの、力のない文字になってしまいます。
私が今、横道にそれたようなこの話をした理由は、表面だけを真似しても、お手本と同じ字にはならないという事をお伝えしたかったからです。つまり、先生の弾き方を見聞きしてそれを真似ても、先生の演奏がなぜその音色になりその演奏表現ができたのか、その原因を知らずに真似をして弾いても、同じ演奏にはなりにくいという事をお伝えしたかったからなのです。
教育の現場では、多くのスポーツ指導がそうであるように、必ずできるための「法則」として、成功する「根本原理」を教師は伝えるべきなのです。
⑨ 演奏の極意「連鎖」
ここでお話しする事は、まさに演奏の極意と呼べる、大変重要な内容です。
そこまで私が言える理由は、今年(2021)百歳になられたあの室井摩耶子先生が、かつて私に、その大変重要な演奏の秘密(そう私は感じます)をお教え下さった事があったからなのです。
それはハイドンのあるソナタの第2楽章。全2ページの前半最後の小節でおっしゃったのです。最後の反復記号で曲は一旦完全に終止し、2拍ほどの休符までありましたが、先生は「次(後半の最初)に続いているでしょう?」とおっしゃって弾いて聴かせて下さったのですが、その時は残念ながら、私にはよくわかりませんでした。
それが最近、ピアノを弾く手の運びには、先ほど取り上げた習字「の」の事例のように、「連動」というものがあり、さらに音楽の流れまでが、しばしば次々と「連鎖」してつながって進んで行くことを、私がレッスンで生徒にお教えしていて、あの時先生がおっしゃっていた意味が、突然理解できたのです。「そうだったのか!先生はあの時、音楽が連鎖してつながっているとおっしゃっていたんだ!」と。あの時私は、まだ音楽の連鎖という事までは気づいていなかったので、せっかくの貴重なお話が、私には通じなかった。申し訳ない事に、馬の耳に何とかだったのです。
ではいったいその何が「究極」だと私が言うのか。次にその肝心のお話をしましょう。音楽の本質に触れるとても大切な事なので、少し長くなるかもしれません。
『音楽には語りと同じく、連鎖の流れがある』
前記⑧の最期で、私は毛筆の「筆さばき」をとおして、まず手の動きの連鎖の例を取り上げました。続いて「の」の字の話で、同じく筆の動きの連鎖について具体例として紹介しました。
音楽の流れにも、言葉で話す中にも、同じくこの連鎖の動きがあります。ことばの例でこれをわかりやすく言えば、英語の場合、冠詞と名詞の間、前置詞と名詞の間などには、名詞へと流れ込む密接な流れ、連鎖があります。
次は2つの単語間での連鎖ですが、小さな2小節の動機のように、より長いフレーズとして、次のような短文でも、同じく連鎖の流れが見られます。(例文中の|は小節線)
This is a|pen. また Oh! my| darling,
さらに動機2つにわたる連鎖の例を挙げておきます。
Happy |birthday to |you. のように、より長いフレーズの流れとなり、
そしてノクターンで例示した、
「い|とーし my| darling, 」のように、さらに長いフレーズとなり、
音楽にも言葉の意味にも、先へ先へとつながって流れていく、連鎖の「動き」が生まれます。
そしてさらにこのフレーズの流れが、あの起・承・転・結の流れに乗って、音による語りとなって現れるのではないでしょうか。そのため演奏には、必然的にこの連鎖を再現しなければ、楽譜に書かれた本来の音楽が伝わらないのです。そしてそれを意識しながら弾くことができれば、それは「歌うような演奏」になっていくはずです。
(この内容は昨年、プロ演奏家の会員が多い日本音楽表現学会の全国大会で、私が発表した中の一部です。)
このように音楽本来の姿が再現できれば、その演奏は聴く人を惹きこみ、感動させるほどの演奏になるのではないでしょうか。
それほど素晴らしい演奏を生み出す源となるものなので、このように『音楽には語りと同じく、連鎖の流れがある』ことを演奏の「極意」だと私は申し上げたのです。
これを逆方向から言ってみると、
「音楽が連鎖しながら続いていく流れ」に演奏を合わせようとすれば、相互作用で必然的に手の動きにも連鎖が現れ、弾きやすい手の状態が自然に生みだされるのです。
私はここでも、あのエーゲルディンゲルの言葉を思い出します。
「どうしてもこんな音を出したいと思えばその通り体が動いてくれて、指も自ずと訓練されていく」
ですからこの「どうしてもこんな音を出したいと思えば」「その通り体が動いてくれて、指も自ずと訓練されていく」という相互に連鎖しあう流れは、さまざまな表現芸術の一つの極意だとも言えるでしょう。
これらのことを、再び毛筆の動きに当てはめてみましょう。時々刻々、一瞬一瞬手や腕、さらに指先の感触として感じ取りながら「動き」に反映させていけば、手にもスムーズに次へと繋がる、「連鎖」する一連の動きや流れが生まれてきます。一つの文字を筆で一画ずつ書いていても形の整った美しい文字にならないのと同じように、個々に次々と音や短い単語のような長さの旋律を弾こうとしても、大変弾きにくい状態が生まれてしまいます。この「連鎖」という動きは、効率の良い合理的な動きをするためには絶対不可欠なため、手の振り方次第で歩き方まで変わるように、日常生活の多くの手や身体の動きにも必ず使われているものなのです。
この「連鎖」の事は、先程の初学者Tさんも、既に実感されています。そして「こんなに楽に弾けるのですか!」と、さっきまでの弾きにくかった「手の感触」が全く変わったと報告されると共に、弾きにくかった箇所が突然美しい音色ですんなり楽に弾けた事を、感動の声と共に喜んで下さるのです。
これは物事の原理(物理・運動力学)ですから、もちろん上級者においても、即座に改善することができます。
演奏するその手の運び方を見れば、どこが原因で動きが連鎖していないのか、私はその箇所が一瞬でわかるからです。
原因がわかるから、改善法も即座に判断でき、「ほら、できたでしょう」となるのです。
(かつて大学のグループレッスンで、それを見ていたある学生が、思わず「手品みたい!」と叫んだことがありましたが、手品の種明かしは、実はこんなに簡単な事なのです。)
一般の医院では、症状を診察し、それに合った治療を行います。私のレッスン法は、まさに医師によるクリニックと同じ。手や力の使い方に異常(患部)を見つければ(診察)、それを直(治療)します。
ただし薬は出しませんが、正しい手の使い方(処方)をお伝えし、治療しているのです。
これが2012年に私が名づけた、「ピアノレッスンクリニック」の中身なのです。
以上で7回にわたった「プロフェッショナルコースの内容紹介」は終わりますが、まだこの他にも、
・音階での手の使い方としての水平移動。
(これはネイガウスの本に、一部私と同じ方法が書かれていたのを先日見つけてビックリ! これもまた「やはりそうするのが一番だったのだ!」の思いです。)
・手の上下の揺れを吸収する動き(ヒトデ奏法™)など。
さらにまたアルペジオでの手の運び方などなど、さまざまな重要なポイントがありますが、
この辺で一応区切りをつけて終わらせていただきます。
最後までお読み頂き、大変ありがとうございました。
引き続き、今後のブログにも、どうかご注目下さいますよう。
本プロフェッショナルコースは、通常のレッスンのように曲を仕上げる事が目的ではなく、曲の練習方法をお伝えする中で、指導法や合理的な学習法を、理論と共に集中講座の形でお伝えするもので、以下の目的で行なっています。
① 楽譜上の一連の音符の塊を、様々なパターンや楽譜のフレーズとして、
② それぞれのパターンの動きに合った、合理的で最適な練習法を学びながら、
③ 美しい音色で演奏するための奏法(手指の使い方)とさまざまな練習法を、
④ すべて合理的な根拠を学びながら、それらを知識をともなった技術として身に蓄え、
つまり、ここで得られた知識によって、さまざまな曲に応用し対応できるよう、
またその理論に基づきながら、各自が新たな練習法や教授法を発見していける自立した学習者、また進化する演奏者や指導者になっていただく事が目的なのです。
そのため、27週という短期間での集中講義として行なっています。
これはいわば「ピアノ教師養成講座」であり、「ピアノの学習法を根本から学ぶための学校」のような所なのです。(もちろん通常の個人レッスンも、コースとは別の形で行っています。)
上記①のパターンとは、まずは音符が形作る音型の塊としてのパターンであり、それに対応する「決まった手段としての対処法」をも含みます。これは料理でいえば、お決まりの「下ごしらえ」の仕方のようなものです。
このように「一定の方法」として存在するものなのですが、しかしそれらを合理的な法則に則った知識として、曲のレッスンの中で日常的に教わることなど、ほとんどないのが多くのレッスンの実状ではないでしょうか。
そのためそれらに出逢うまで、さらに「方法」として習得できるまで、運が良くても何十年。しかし大多数の方は、おそらく一生出逢えないでしょう。
なぜなら、
「裏付けとなる確かな運動力学の理論を伴った合理的な奏法の指導」として、また「その知識を原理として学びながらのレッスン」は、他所でされることはまずないからです。さらにそれを約半年間に凝縮して行う集中講座形式で、現在でさえ、おそらくどこの音楽大学にも存在しないほどの講義内容だからです。
私の願いは、そのような確かな合理的知識をもって、不合理な苦しい練習を極力排除したレッスンをして下さる先生方の数を増やすことであり、ピアノ学習をはるかに楽に、そして楽しく、しかも音楽的に、効率よく、より確実に上達できる幸せな学習者の方々がどんどん増える事なのです。
どうかここに書きました内容を何度も繰り返してお読みいただき、またここで使ったショパンのすばらしい本もご覧になって、ご自分の学習に、またレッスンにも生かしていただけますよう。それもまた、より良い音楽の世界につながることになり、私にとりましても、大変嬉しい事ですので。
直接オンラインで、この学習法・指導法をより確実に学ばれたい上級者以上の方々には、ぜひとも受講されることをお勧めいたします。
(ご来訪が可能な方は、教室までお越しいただいてもかまいません。)
もちろん曲を中心にして、これらの内容を含めた、通常のレッスンもオンラインで行っております。
集中講座として受講されにくい方には、断片的にはなりますが、それらを少しずつお伝えしていく事もできます。ただしお伝えする内容の量が多いため、どうしても数年間にまたがってしまい、効率は悪くなります。
詳しくはホームページや無料体験レッスンでお問い合わせくださいますよう。
メールまたはその場でお返事させていただきます。
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ピアノレッスンクリニック芦屋
【住所】 〒659-0091 兵庫県芦屋市東山町28-19
【電話番号】 090-4274-6607
【メール】 pianolesson.clinic.ashiya@gmail.com
【営業時間】 9時~20時ごろ
【定休日】 不定休
【アクセス】 大阪より、JR・阪急・阪神各線で8分~21分、 神戸三宮より、8分~15分 下車後、バスで約5分。東山町バス停下車すぐ
22/09/24
22/08/13
21/12/03
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⑧ 演奏者が歌や朗読の練習をする「究極の効果」!
前回の⑦を受けてのお話です。
ここで確認しておきたい最も重要なことは、歌詞をつけ、声に出して歌う演習も、それを声優のように朗読する練習も、
すべては旋律へのイメージ(音色・表情・情景など)を深く意識に刻むためであり、
結局は冒頭の「どうしてもこんな音を出したいと思えば」のとおり、気持ちをそのように深く意識するための作業として行なう必要があるのではないかという事なのです。
練習の結果「その通り体が動いてくれる」ようになり、そうなれば「指も自ずと訓練されていく」といった結果も、それに付随して実現されるようになる。ショパンはそう言っているのです。
ショパンも私も、これほど「音楽で語る」ということを重視する理由は、もちろん聴く人の心に届く音楽を演奏するためですが、それだけではありません。
何よりも、
そうするほうがはるかに弾き易くなり、
さらにそれがピアノを弾くテクニックとなって、
身体に蓄えられていくからなのです。
つまり一石二鳥!!
それに気がつけば、「こんなに楽に弾けるようになれるのか!」
と、
きっと「目からうろこ」の思いをされる事でしょう。
これが「その通り体が動いてくれる」ように、必然的になった状態なのですから。
この究極の(本来の)ピアノの弾き方を、以前ブログに連載した壮年の初学者Tさん(ピアノを始められて2年半以上)が、全くの初心者であっても、これまでに数回ご紹介したとおり、「こんなに楽に弾けるのですか‼」と、すでに数え切れないほど何度も体感されているのです。
書道での手の使い方との共通点を、もう一度お話しておきましょう。
筆使いでも、筆先の感触を手で感じていないと、お手本どおりの字は書けません。そして筆遣いにも「こうすれば必ずこう書ける」という「やり方」があります。(私はそれを大学の半年の授業で、幸いにも高名な書道家に教わっていました。その教え方はまた、恩師の教え方にも通じるものでした。)
ピアノにも同じく、「必ずこうなる」という、筆さばきならぬ「指さばき」のようなものがあります。
でもそれを法則のように、決まったパターンだと知って教えている人は、書道の教師以上に、とても少ないのではないでしょうか。
どちらをする場合にも、それを知っていて手を動かし、筆先や指先の手応えや感触を頼りにして動かしてこそ、次の動きを始めることができるのです。つまり手指の動きは、常に次へ次へと「連鎖」していけば、驚くほど使いやすくなるのです。
小学生が習字で習う「の」の字は、右上から斜め下に向けて一気に筆を運び、一旦止めて、次の真上に持ち上げる態勢を整えるために、大きく円を描いて最後まで筆を運ぶ心の準備をします。そして、その動きに移るために、少し筆を浮かして紙との抵抗を減らしますが、その結果、ここの線の太さが細くなるのです、でも、それを知らずに、線の太さを細くすることしか頭にないのなら、その線はお手本の表面的な真似に終わり、ただ細くしただけの、力のない文字になってしまいます。
私が今、横道にそれたようなこの話をした理由は、表面だけを真似しても、お手本と同じ字にはならないという事をお伝えしたかったからです。つまり、先生の弾き方を見聞きしてそれを真似ても、先生の演奏がなぜその音色になりその演奏表現ができたのか、その原因を知らずに真似をして弾いても、同じ演奏にはなりにくいという事をお伝えしたかったからなのです。
教育の現場では、多くのスポーツ指導がそうであるように、必ずできるための「法則」として、成功する「根本原理」を教師は伝えるべきなのです。
⑨ 演奏の極意「連鎖」
ここでお話しする事は、まさに演奏の極意と呼べる、大変重要な内容です。
そこまで私が言える理由は、今年(2021)百歳になられたあの室井摩耶子先生が、かつて私に、その大変重要な演奏の秘密(そう私は感じます)をお教え下さった事があったからなのです。
それはハイドンのあるソナタの第2楽章。全2ページの前半最後の小節でおっしゃったのです。最後の反復記号で曲は一旦完全に終止し、2拍ほどの休符までありましたが、先生は「次(後半の最初)に続いているでしょう?」とおっしゃって弾いて聴かせて下さったのですが、その時は残念ながら、私にはよくわかりませんでした。
それが最近、ピアノを弾く手の運びには、先ほど取り上げた習字「の」の事例のように、「連動」というものがあり、さらに音楽の流れまでが、しばしば次々と「連鎖」してつながって進んで行くことを、私がレッスンで生徒にお教えしていて、あの時先生がおっしゃっていた意味が、突然理解できたのです。「そうだったのか!先生はあの時、音楽が連鎖してつながっているとおっしゃっていたんだ!」と。あの時私は、まだ音楽の連鎖という事までは気づいていなかったので、せっかくの貴重なお話が、私には通じなかった。申し訳ない事に、馬の耳に何とかだったのです。
ではいったいその何が「究極」だと私が言うのか。次にその肝心のお話をしましょう。音楽の本質に触れるとても大切な事なので、少し長くなるかもしれません。
『音楽には語りと同じく、連鎖の流れがある』
前記⑧の最期で、私は毛筆の「筆さばき」をとおして、まず手の動きの連鎖の例を取り上げました。続いて「の」の字の話で、同じく筆の動きの連鎖について具体例として紹介しました。
音楽の流れにも、言葉で話す中にも、同じくこの連鎖の動きがあります。ことばの例でこれをわかりやすく言えば、英語の場合、冠詞と名詞の間、前置詞と名詞の間などには、名詞へと流れ込む密接な流れ、連鎖があります。
次は2つの単語間での連鎖ですが、小さな2小節の動機のように、より長いフレーズとして、次のような短文でも、同じく連鎖の流れが見られます。(例文中の|は小節線)
This is a|pen. また Oh! my| darling,
さらに動機2つにわたる連鎖の例を挙げておきます。
Happy |birthday to |you. のように、より長いフレーズの流れとなり、
そしてノクターンで例示した、
「い|とーし my| darling, 」のように、さらに長いフレーズとなり、
音楽にも言葉の意味にも、先へ先へとつながって流れていく、連鎖の「動き」が生まれます。
そしてさらにこのフレーズの流れが、あの起・承・転・結の流れに乗って、音による語りとなって現れるのではないでしょうか。そのため演奏には、必然的にこの連鎖を再現しなければ、楽譜に書かれた本来の音楽が伝わらないのです。そしてそれを意識しながら弾くことができれば、それは「歌うような演奏」になっていくはずです。
(この内容は昨年、プロ演奏家の会員が多い日本音楽表現学会の全国大会で、私が発表した中の一部です。)
このように音楽本来の姿が再現できれば、その演奏は聴く人を惹きこみ、感動させるほどの演奏になるのではないでしょうか。
それほど素晴らしい演奏を生み出す源となるものなので、このように『音楽には語りと同じく、連鎖の流れがある』ことを演奏の「極意」だと私は申し上げたのです。
これを逆方向から言ってみると、
「音楽が連鎖しながら続いていく流れ」に演奏を合わせようとすれば、相互作用で必然的に手の動きにも連鎖が現れ、弾きやすい手の状態が自然に生みだされるのです。
私はここでも、あのエーゲルディンゲルの言葉を思い出します。
「どうしてもこんな音を出したいと思えばその通り体が動いてくれて、指も自ずと訓練されていく」
ですからこの「どうしてもこんな音を出したいと思えば」「その通り体が動いてくれて、指も自ずと訓練されていく」という相互に連鎖しあう流れは、さまざまな表現芸術の一つの極意だとも言えるでしょう。
これらのことを、再び毛筆の動きに当てはめてみましょう。時々刻々、一瞬一瞬手や腕、さらに指先の感触として感じ取りながら「動き」に反映させていけば、手にもスムーズに次へと繋がる、「連鎖」する一連の動きや流れが生まれてきます。一つの文字を筆で一画ずつ書いていても形の整った美しい文字にならないのと同じように、個々に次々と音や短い単語のような長さの旋律を弾こうとしても、大変弾きにくい状態が生まれてしまいます。この「連鎖」という動きは、効率の良い合理的な動きをするためには絶対不可欠なため、手の振り方次第で歩き方まで変わるように、日常生活の多くの手や身体の動きにも必ず使われているものなのです。
この「連鎖」の事は、先程の初学者Tさんも、既に実感されています。そして「こんなに楽に弾けるのですか!」と、さっきまでの弾きにくかった「手の感触」が全く変わったと報告されると共に、弾きにくかった箇所が突然美しい音色ですんなり楽に弾けた事を、感動の声と共に喜んで下さるのです。
これは物事の原理(物理・運動力学)ですから、もちろん上級者においても、即座に改善することができます。
演奏するその手の運び方を見れば、どこが原因で動きが連鎖していないのか、私はその箇所が一瞬でわかるからです。
原因がわかるから、改善法も即座に判断でき、「ほら、できたでしょう」となるのです。
(かつて大学のグループレッスンで、それを見ていたある学生が、思わず「手品みたい!」と叫んだことがありましたが、手品の種明かしは、実はこんなに簡単な事なのです。)
一般の医院では、症状を診察し、それに合った治療を行います。私のレッスン法は、まさに医師によるクリニックと同じ。手や力の使い方に異常(患部)を見つければ(診察)、それを直(治療)します。
ただし薬は出しませんが、正しい手の使い方(処方)をお伝えし、治療しているのです。
これが2012年に私が名づけた、「ピアノレッスンクリニック」の中身なのです。
以上で7回にわたった「プロフェッショナルコースの内容紹介」は終わりますが、まだこの他にも、
・音階での手の使い方としての水平移動。
(これはネイガウスの本に、一部私と同じ方法が書かれていたのを先日見つけてビックリ! これもまた「やはりそうするのが一番だったのだ!」の思いです。)
・手の上下の揺れを吸収する動き(ヒトデ奏法™)など。
さらにまたアルペジオでの手の運び方などなど、さまざまな重要なポイントがありますが、
この辺で一応区切りをつけて終わらせていただきます。
最後までお読み頂き、大変ありがとうございました。
引き続き、今後のブログにも、どうかご注目下さいますよう。
本プロフェッショナルコースは、通常のレッスンのように曲を仕上げる事が目的ではなく、曲の練習方法をお伝えする中で、指導法や合理的な学習法を、理論と共に集中講座の形でお伝えするもので、以下の目的で行なっています。
① 楽譜上の一連の音符の塊を、様々なパターンや楽譜のフレーズとして、
② それぞれのパターンの動きに合った、合理的で最適な練習法を学びながら、
③ 美しい音色で演奏するための奏法(手指の使い方)とさまざまな練習法を、
④ すべて合理的な根拠を学びながら、それらを知識をともなった技術として身に蓄え、
つまり、ここで得られた知識によって、さまざまな曲に応用し対応できるよう、
またその理論に基づきながら、各自が新たな練習法や教授法を発見していける自立した学習者、また進化する演奏者や指導者になっていただく事が目的なのです。
そのため、27週という短期間での集中講義として行なっています。
これはいわば「ピアノ教師養成講座」であり、「ピアノの学習法を根本から学ぶための学校」のような所なのです。(もちろん通常の個人レッスンも、コースとは別の形で行っています。)
上記①のパターンとは、まずは音符が形作る音型の塊としてのパターンであり、それに対応する「決まった手段としての対処法」をも含みます。これは料理でいえば、お決まりの「下ごしらえ」の仕方のようなものです。
このように「一定の方法」として存在するものなのですが、しかしそれらを合理的な法則に則った知識として、曲のレッスンの中で日常的に教わることなど、ほとんどないのが多くのレッスンの実状ではないでしょうか。
そのためそれらに出逢うまで、さらに「方法」として習得できるまで、運が良くても何十年。しかし大多数の方は、おそらく一生出逢えないでしょう。
なぜなら、
「裏付けとなる確かな運動力学の理論を伴った合理的な奏法の指導」として、また「その知識を原理として学びながらのレッスン」は、他所でされることはまずないからです。さらにそれを約半年間に凝縮して行う集中講座形式で、現在でさえ、おそらくどこの音楽大学にも存在しないほどの講義内容だからです。
私の願いは、そのような確かな合理的知識をもって、不合理な苦しい練習を極力排除したレッスンをして下さる先生方の数を増やすことであり、ピアノ学習をはるかに楽に、そして楽しく、しかも音楽的に、効率よく、より確実に上達できる幸せな学習者の方々がどんどん増える事なのです。
どうかここに書きました内容を何度も繰り返してお読みいただき、またここで使ったショパンのすばらしい本もご覧になって、ご自分の学習に、またレッスンにも生かしていただけますよう。それもまた、より良い音楽の世界につながることになり、私にとりましても、大変嬉しい事ですので。
直接オンラインで、この学習法・指導法をより確実に学ばれたい上級者以上の方々には、ぜひとも受講されることをお勧めいたします。
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もちろん曲を中心にして、これらの内容を含めた、通常のレッスンもオンラインで行っております。
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詳しくはホームページや無料体験レッスンでお問い合わせくださいますよう。
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【定休日】
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下車後、バスで約5分。東山町バス停下車すぐ
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