「ロシアピアニズム」でレッスン
「ロシアピアニズム」でレッスン
さまざまなピアノ奏法の名前が知られるようになった現在ですが、その中身は意外と知られていないようです。最初にそれらが生まれた経緯を確認し、併せてその概略をお伝えしておきましょう。
そもそもピアノという楽器が生まれたのは、モーツァルトが生まれる50年ほど前の1700年頃。まだ小さな音量の楽器で、指の力もあまり要らない、王侯貴族の室内用でした。
その後市民社会へと移り変わって、広い市民ホールで演奏されるようになって大音量が必要になり、現代のピアノの原型が生まれました。つまりこの時点で。ピアノは新しい楽器へと生まれ変わり、当然その奏法も変わりました。リストたちによる「重力奏法」の誕生です。リストは3000人もの生徒に教え、この奏法はヨーロッパ中に広まり、現代の海外ピアニストたちの源流になりました。ショパンもまた彼なりに、繊細な表現ができるショパン流の「重力奏法」を生み出しましたが、その生徒は女性が多く、プロピアニストになった生徒はごくわずかでした。
同時代のロシア人ピアニスト・作曲家、アントン・ルビンシテイン(1829~94)も「重力奏法」を学び、音楽後進国だったロシアに、最初の音楽学校を設立。そこへリスト(1811~86)と並ぶツェルニーの高弟だったレシェティツキー(1830~1915)を招き(1862~78)、ロシアに「重力奏法」を広めました。これがロシアにおけるピアノ教育と「ロシアピアニズム」の本格的な始まりです。ですから、ロシアピアニズムは「重力奏法」がベースになっているのです。リヒテルやギレリスを育てたゲンリヒ・ネイガウス(1888~1964)は、モスクワ音楽院でショパンの教育法を取り入れたロシアピアニズムで教えました(ネイガウス派)。このように、ロシアピアニズムといっても、さまざまに「重力奏法」の流派があるのです。
ロシア奏法という名は、旧ソ連の解体により職を失った多くのピアニストが来日して教えたことで、日本人が勝手にそう名付けたものなので、本来「奏法」としてはあり得ない呼び方です。
では以上に登場しなかったハイフィンガー奏法は、いつ生まれたのでしょうか。
本格的な登場は「重力奏法」と同じ時期です。それまでの小さな音量の強弱でよかったものが、数倍の大音量が必要となり、そこで指をより高く無理やり持ち上げて鍵盤に強く打ち付ける奏法も広まりました。19世紀後半には、それを教える(約50年間ほど)音楽学校も南ドイツに現れました。しかしその後「重力奏法」が主流になり、20世紀初めには、ヨーロッパでは消えていったようです。アメリカではそれがやや遅れていたため、アメリカ人メーソンが始めた日本の西洋音楽教育に、その古い奏法が残ったようです。さらにそれは日本の習い事のスタイル、伝統的な「師匠のとおり」式に、現在まで継承されているのです。ですから故中村紘子さんが、留学先で「あなたのは100年前の古い弾き方」と言われたのです。ハイフィンガー奏法の一流海外ピアニストは、現在では恐らく一人もいないでしょう。
なおこの古い奏法は、指を無理やり上げてほぼ垂直に打ち下ろす。つまり、指の上げ下げ共に力が必要なので、相当な指の 訓練が必要です。それに比べて「重力奏法」は、1本ずつの指は持ち上げずに、主に手全体の重さを持ち上げて自然落下させ、必要な指で支える式の、大変楽な弾き方です。ですから基本的に、指から動いて鍵盤を打つことはしません。ショパンは常に「楽に、楽に!」と、不要な力を使わないよう生徒に教えていたそうです。
私の恩師は、7歳でロシア人ピアニストに手ほどきを受け、同じくロシアピアニズムの大家レオ・シロタに教わった方で、戦前は世田谷にあった帝国音楽学校の助教授をされていました。私は大学1年から学外で約10年間、幸運にも当時はめったになかった外国式のレッスンで教わり、タッチも直していただきました。それが現在知られるようになったロシアピアニズムのレッスンだったのです。
(ただしタッチを直される先生はほとんどありません。こうして手を直していただいた事が、クリニック(診断・処置)ができる私のレッスン法の基礎になり、運動力学的に手の使い方を考える源になっています。)
美しい音色と歌うこと。この2つがロシアピアニズムの特徴だそうですが、恩師からは常にこの2つを求められました。そしてその美しい音色について書かれた、出版されたばかりの「ツィーグラー~耳から学ぶピアノ教本」の存在も教わりました。それは後の「指歩きピアノ奏法」につながり、さらにまた「重力奏法」の教本の一つだったと、ずっと後になってから見つけました。ツィーグラーの論文を見た、「重力奏法」の名付け親ブライハウプトが、それを絶賛しているので、明らかなのです。
しかし私は恩師の教えから、残念ながらそう簡単にその「美しい音色」を出す事はできなかったのですが、ギレリス(ロシアピアニズム・ネイガウス派)の美しい生演奏に魅了されて意識が開眼。以来10年にわたってそれを追求し、やっと先生から求められた美しい音色を出せました。できてみれば、実に簡単に出せる方法があったのです。それが運動力学につながる、私の「指歩きピアノ奏法®」。普通に「歩く」動きにはドタバタした動きはなく、必ず足が地面に触れてから力が使われます。それによって、自然に美しい音色が発音されるのです。
そして最近の『ロシアピアニズム』の出版です。その内容には、「指歩きピアノ奏法®」と19点に及ぶ共通点が見つかりました。
同書には、題名の頭に「『響き』に革命を起こす」とあります。この「響き」に似た表現には、小冊子『ツィーグラー~耳から学ぶピアノ教本のために』で重視されている、「美しい音色」があります。(これ以下はコピー)
原著”Das Inner Hören”「『心で聴く』ピアノ奏法」とあり、「美しい音色」を奏でることが最初に求められている点で、両者は共通しています。倍音が豊かな「響き」と「美しい音色」とは、同義語と言えるからです。双方共に「重力奏法」を特徴づける重大な要素になっています。
何よりも、一番驚いたのは次の一節です。
「人の足の動きを想像するとわかりやすい」(p103)や、
「ロシアピアニズムの奏法では、人が歩くときに自然に両足を交互に出し、
片足ずつ重みを地面にかけるような感覚である。」(同)
この記述に関するかぎり、筆者のロシアピアニズム(ネイガウス派)は、
私が1992年に勤務大学内で最初の研究発表をおこない、その後それをDVDにして発刊した、「指歩きピアノ奏法®」(Finger-walking Piano Method)と、まったく同一と言えるのではないかとさえ思われます。
また別の本ですが、フランスピアニズムのピアニスト、青柳いづみこ著『ピアニストは指先で考える』にも、「ピアノを教えるとは、歩き方を教えるようなものだ。」と、これにも共通していますから、この「指歩き」は、ヨーロッパ中に広まった「重力奏法」の、最も基礎的な奏法になっているようです。
以下にこの本に書かれている指導法と、私の指導法と共通している項目を挙げながら、両者がほぼ同じ内容であることを確認していきます。
とりあえず気づいた点を挙げました。今後新たな気づきが見つかれば随時補筆していきます。
以下は、まず筆者の記述から。次に私がレッスンでしている、共通または類似している指導法の順でとり上げていきます。
1.何よりも本書のタイトルにもあるように「響き」を重視していること。
これはブログの初学者Tさんシリーズ<その10>(始めて9ヶ月)の私のレッスンで、
すでにこの「響き」がTさんの手から発せられた記載があります。
2.その響きの中心には「音の核」があること。(p28)
「音の核」の事は、恩師から教わった『ツィーグラー~耳から学ぶピアノ教本』の最初にも
書かれています。
私のレッスンの初回には、DVDにも画像があるとおり、オルフの教育楽器「アルト・
メタロホーン」を使って「音の核」と、その核から波紋が拡がっていくように、空中に
「響き」が拡がっていくことを聴きとりながらツィーグラーの記述を確認し、「美しい音色」 を奏でる目標にしていただいています。
3.「プレトニョフの基本のタッチの特徴は、鍵盤の底を狙うのではなく、
鍵盤を2、3ミリ押したところを狙って打鍵していることだ。」
この記述の真意は明確ではありませんが、鍵盤にも車のアクセルと同じように、数ミリ の「遊び」があります。
ある意味アクセルを踏むのと同じように、ピアノでも実効力が生まれるポイントを狙って
打鍵するのは当然の事ではないでしょうか。
ただし、ハイフィンガー奏法であれば、そんなことはほとんど奏者の意識にはないのでは
ないかと思われます。
4.「鍵盤に押し戻されるような感覚で弾くこと」(p96)
私もその鍵盤の戻りを指先で感じながら弾く感覚を重視しています。
これは後続の10.で書いた「毛筆」が離れる瞬間に生まれる「余韻」にもかかわる
大変重要なポイントです。
また、ベートーヴェンのワルトシュタイン・ソナタの冒頭、Cの和音の連打は、鍵盤の
戻りを感じながら弾かないと、静けさから湧き上がってくるような表情は出せません。
5.「手のひらの下に空気の層」
私も「手のひらの下に風船があると思って、それをムギュッと押さえるようにして弾き、
風船の反発力で手が元に戻るような感触で弾く」と指導しています。
6.「タッチを作る手のひら・・つかむような緊張感を作って腕の重みを支える土台を作る」
(p98)
「手のひらでつかむように弾く」ことは、私も最初期のレッスンで、「手の使い方の土台」を身につけるため、最重要視しています。
かつてレコードのポスターに、右手を握った形で、顔の高さまで跳びあがった、カッコイイ瞬間の写真がよく見られました。
私はそれを初心者の導入期にも3和音の弾き方のところで、「プロの弾き方ができるよ」
と言って、手の使い方を学ぶ最適の教材として使ってきました。
この「つかむ」手の使い方は、特に左手で和音を響かせるために大変重要です。右手の
メロディーが気持ちよく歌うように弾くためには、大きすぎない音量で、静かでよく響く
和音のバック・コーラスが必要だからです。
また私のブログ「卵をつかんだ形の弊害」<その1>には、
「私は学生たちに、『ピアノの音色は手のひらで出す』と言ってきました。」と書き、
<その4>では、(手のひらが)「固定的」(死んでいる)か「流動的」(生きている)
かの違いについて述べています。(いずれもすでに昨年夏にアップしたものです。)
「手のひらを使う」=「つかむ」動きの事なのです。
これと似た本書の内容に、「そもそも音色のコントロールは、手のひらの筋肉の緊張と
弛緩が大きくかかわる・・」(p101)と、「重力奏法とは?」の中にもあります。
7.「本当の重力奏法は、・・指先から弾くのではなく手首から弾いていく」(同)
『指歩きピアノ奏法®』も、鍵盤にふれるまでは指を動かしません。
決して指を動かさず、「手首から落下して指が鍵盤に触れる瞬間に、手が落ちて
しまわないよう、指のふんばりで落下を止める」と書きました。
そのため結果としてこの動きは、本書でいう手首から落ちていく状態になります。
そしてこの踏ん張りの源は、本書でいう「手首の裏の腱」(p79)の働きになっています。
8.この手の動きに関連し、「相反するエネルギーの存在」(p99)のところでは、
「指を下ろしながら、指の付け根の筋肉で引き上げることを同時に行っている」
「力学的には、鍵盤の下の方向へエネルギーを使いつつ上に引き上げるエネルギーも存在
するイメージだ」とあります。
これは「歩く」時の脚の筋肉の使い方と同じではないかと思われます。
指先で手の重さを下方へかけながら、同時に次の一歩を踏み出す準備のため、指の付け根
の筋を使って手首が引き上げられる。上下両方向のエネルギーが同時に働いています。
そうだとすると、「指歩きピアノ奏法®」の基本的な動きと同じことになります。
9.「自由落下」(p100)とあります。
私は脱力と結び付けて万有引力をイメージし、
「自然落下」と呼びますが、無駄な力を使わないという意味で、どちらも同じ発想です。
10.「まず腕の重みが乗った状態が出発点。腕の重みを100パーセント鍵盤に乗せ」(p102)
「指歩きピアノ奏法®」の出発点も、上記8.で自然落下させるので同じです。
ただし筆者はここで「指の支えがしっかりしている方だけが行ってほしい。」とあります
が、「ツィーグラー」は親指の先を弾く指の第2関節に横から補助する提案をしており、
それによってその心配はなくなるため、学習の最初から100%かけても心配ありません。
筆者の考えだと、「指の支えがしっかり」するまで待たなければならず、この練習を
始める時期が遅くなってしまいます。
ただし私が提案しているのは、各指の第3関節の支えの力(手のひらでつかむ力)を育てるために必要だということなのです。基礎練習として行う事なので、曲を弾く場合は、個々の子どもの手の、支えの育ち具合に応じた選曲をしなければなりません。
11.その後は本書の「実際に弾くときには・・20~50(%)くらいの重さに減らして」とあ りますが、これも同じです。
実際に歩行する時、100%重さをかければ進むことができません。
歩行時は、重心移動と共に重さが次の足へ常に移動しているため、常に数10%ほどしか
かからず、走れば接地面積と接地時間も少なくなり、重さがかかるのは瞬間。
「指歩き」でも同じことです。
12.「手のひら全体で鍵盤を覆うように意識し、」(p102)
重力奏法および「指歩きピアノ奏法®」でも手全体の重さを効果的に自然落下 させるため、1~5指までの手のひらは、常にやじろべいのようにバランスをとりながら、鍵盤上へかぶさる状態になっています。
13.「音の離し方」の項(p106)に「指を置いている間は鳴っている音を聞き続けなければ ならない。」
このことは「ツィーグラー」でも最初の段階に、「消えるまで聴き続けるように」と書いて
あります。
私はそれを「毛筆が紙から離れる瞬間と同じ」と言っています。そこに余韻が空気と共に残るからです。ですから、音が消えても、なお空気を感じながら聞き続けるのです。
本書では音が消える時、「手首で持ち上げるのが基本」(同)と書かれていますが、筆先が紙から離れる時も、同じく手首がリードして離れていくので、同じ動きだといえます。
14.「トロイメライのような短い曲でいいから、すべての音を大切に美しい響きの音で弾いて
みたい」(p106)
私も同じ思いでそれを実行し、モーツァルト、シューマン、ブラームスの短い3曲を、 それぞれモーツァルトの音、ロマン派の音、重厚な和音を出すという目的で、約10年間も
弾き続けた結果、すべて美しい音色の響きで弾く方法を見つけました。
それが「指歩きピアノ奏法®」なのです。
15.「音間に倍音が存在することを・・その響きを聴いてから次の音を意識する」ことで
「演奏そのものも変わり・・」(p109)
私はこれに類することを、指揮をする時の予備のように、フレーズの終わりから次の
フレーズへと、「まるで毛筆が次の一画へとつながるような動きで、音楽が続いていく」
と説明しています。
そうすることで、まさに「演奏そのものも変わり」、音楽の流れが途切れない演奏へと
変わっていくのです。
当然そこには音が途切れても「響き」の連続性が存在し、意識して聴けば、
その響きの中に倍音の存在をも確認することができます。
このことはまた、朗読のしかたにも共通するところです。
16.「表現するには、技術以前に「どう表現したいか?」を事細かにイメージしなければ
ならない。」(p143)
私もどう演奏するかは、どう表現するかであり、どう表現するかは、声で「どう語るかだ」
と常に話してます。そしてその語り方通りに演奏表現する練習をするのです。
こうして演奏技術は蓄積されていくのです。
けっして技術のために練習をするのではありません。
このように練習すれば、技術は自然に身についていくのです。
要は、話す時にも、すでに頭の中でこう話そうと無意識的に決めたものを、相手に伝わる
よう声に出して語っているのですから、その声の出し方、表現法が、語る技術となって
蓄積されていくのです。ピアノによる演奏表現も、まったくこれと同じ事なのです。
本書の「ディーナ・ヨッフェ先生語録」(p179)の中にも、「技術と音楽は常に一緒で
なければならない。」と書かれていますが、。この事ではないでしょうか。
17.次はとても重要なことです。
「イメージする技術」を身につけるには、基本的な「発声」の訓練が必要だ。
「このもっとも重要な基礎である、『発声』の訓練が足りていない。」(p144)
私もこれと全く同じことを言ってきました。ピアニストは少なくとも発声のための呼吸法と
その人なりに「よく響く美しい発声法」を身につけておかないと、その呼吸の「息遣い」と共に、声の「響き」のイメージを伴った、「歌うような演奏」をすることができません。
そのため、上級者および指導者コースには、簡単な最低限の呼吸法と発声法のレッスンも、プログラムに組み込まれてあります。
筆者大野氏も「歌の感覚を知ることがピアノを歌わせるために必要なのだ」(p221)
とあります。
まさに「もっとも重要な基礎」なのですから。
ツィーグラーも「正しい発声による肉声に似れば似るほど、ピアノの音はより完全なものになる。人間の声というものは、すべての音楽のはじまり。だから、できるだけ、肉声が歌うような音の感覚を持つことが、ピアノ演奏者の努力目標である。」(第1巻の序)
と述べています。
18.「理想の教師とは」
「音の発声訓練や基本的な音型の弾き方、ポリフォニーの弾き方などは「幹」にあたる
ため、辛抱強く何度も指導する必要がある。」
私はこの「幹」を最も重視してレッスンをしているつもりです。
「ピアノのヴォイストレーナー」と、DVD「田島孝一の『指歩きピアノ奏法®』」の中で
も語っております。
またブログで連載している「壮年の初学者・Tさんシリーズ」(1~10+番外編x2)では、同じ曲を1年以上もかけて徐々に、より美しく弾けるよう、プロ向けの本物の弾き方、本物の「響き」、それを出すための手の使い方を指導しています。
DVDの副題「~ピアニストの手を作るレシピ~」どおり、基礎となるピアニストの手となる「土台」作りを、ずっと続けているのです。これがある程度完成すれば、いろんな曲を、たいした苦労もなしに、すべて美しい響きで、思い通り表現をしながら、楽な手の使い方で弾くことができるのですから。
Tさんは、毎回のように音色が美しく変わっていくのを楽しみにされていて、まったく
飽きられる事がありません。
「指は左右対称の、たった5本ずつしかない」と私は常に言ってきました。
5本ずつの指を的確に使える状態。「土台」を作ってしまえば、さまざまな曲の演奏も
表現も、新たな音型などを少し学ぶだけで、ほぼ弾けてしまうからです。
19. おわりに
筆者の大野氏が留学先でタチアナ・ニコラーエワ氏の響きに感動されてロシアピアニズムの研究が始まられたことも、私も25歳の頃、ギレリスのビロードのような美しい響きに触発されて、その音色の追及が始まった事とも共通点があります。私はまた、リパッティの柔らかな演奏と響きも追及の対象としてきました。
さらに大野氏は、「私自身は対照的に(コンクールを)何も受けずに研究ばかりしていた」(p147)、とありました。
私も同じく、本物の音楽表現を求められる、恩師のゆったりとした、しかししばしば難度の高い曲に挑戦させて、高い成長をはかられたご指導法のおかげで、過酷なレッスンに追われることもありませんでした。おかげで「どう弾けば弾きやすくなるか、美しい音色が奏でられるのか」。じっくりとそれを研究して見つけることが楽しかったので、きわめて近い結果にたどり着いたのではないかと思われます。
これは、下に引用したツィーグラーがいうとおりの結果ではないかと思えてなりません。
本の結びにある、「自分の使命はロシアピアニズムの美しい響きを研究し、それを伝えていくこと」と書かれているのを見て、私と同じ思いでレッスンされていると感じました。
「この新しい奏法で教えられるピアノ教師を何としても育てなければならない」との私の思いも、もしかすると共通しているかもしれません。
今回この原稿を書いていて、数十年ぶりに、改めてツィーグラーの記述を調べてみたところ、次の文章が出てきました。
「芸術的演奏は難度6からようやく始まるものではない!この芸術的演奏の土台は第一段階においてすでに置かれなければならない。」(ツィーグラー)
まさに、私が初学者Tさんや中学1年初級者O君にレッスンしていることと同じ思いなのです。
なぜなら、そうするほうがはるかに手の動きが自然になり、弾きやすくなるからなのです。
何よりも、そこには常に美しい音楽が存在し、その魅力のため、意欲が自然に高められるのですから。
さらにツィーグラーは、
「テクニックの学習、すなわち練習と音楽的に奏することをなぜ依然として区別するのか? われわれはつねに音楽的に奏すべきである。
いかなる練習にあっても音楽、そしてただ音楽だけである!」(ツィーグラー)
そう。あの機械的に弾かれがちなハノンでさえ、学生時代の私は、音楽的に強弱や表情を変えて、楽しみながら弾いていました。そのおかげで、思ってもみなかった「手の使い方」や、いろんな演奏テクニックを発見し、多くのものを手に入れることができたのです。
ツィーグラーも、その続きに、
テクニカルなものを音楽的なものから導き出し、心で聴きながら習得する人にとっては、
テクニックの上でもまたつねに新しい認識、新しく楽しい驚きがある。」
と述べています。
これらの記述は、
テクニックとは、音楽的に表現する事を追求し続ける中で、常にあらたな発見として、
それが自然に身についてくるものであると述べているのではないでしょうか。
これを私は、自分の体験から、間違いなくそうだと確信しています。
そもそも音楽的に表現するとは、いったいどういう意味なのでしょうか?
私は、詩や物語を朗読すること、さらに芝居の台本でセリフの練習をする場合に置き換えて考えます。つまり、個々のフレーズの音符を、何か意味を持ったことばとして読み上げる時の、個々の文字のように扱うのです。当然そこには、それそれ声の強弱や硬軟など、微妙で自然なニュアンスが入り込みます。
「読み聞かせる相手に、自分の思いが伝わりやすいように語る」ということができるためには、何よりもまず、それぞれの言葉の意味を十分把握しておかなければなりません。それができてこそ、そこに気持ちや感情を込めて、ようやく相手にそのセリフの感情が伝わるように語ることができるのです。
何よりも大切なことですが、これができた時が、いちばん読みやすくなるからです。
演奏も全くこれと同じ原理で、そのようにできれば、最もスムーズに弾けるのです。
朗読を聴く者の心にそのメッセージが伝わるまでのこの一連の流れは、演奏でもまったく同じ過程を経てできるようにしなければなりません。それができてはじめて人の心にその音楽の心やメッセージを伝えることができるからです。
スムーズな語りができるまでのこの一連の流れに合わせるためには、まず個々のフレーズの感情や語り方なりを、十分把握しておかねばなりません。その上で感情を込めて、何とかそれを人に伝えたいと願いながら演奏するのです。
できればそのフレーズやメロディーに、よりふさわしい歌詞をつけ、気持ちを込めて歌ってみるのです。必ずしも歌詞にならなくても、そのフレーズなりにふさわしいお話や情景を表すことばなどでもかまいません。さらにもっと自由に、そのフレーズのリズムにあった言葉を付けるだけでも、何もないよりは、はるかに良い結果が導かれます。
私のレッスンでは、何とかそのフレーズやメロディーの感情を出して欲しい時に、
時々歌詞をつけてあげることがあります。
常にここまでできる音楽ばかりではありませんが、これに近いことができて、はじめてその音楽の気持ちが伝わるのではないでしょうか。ですから私は、朗読の練習もまた、表現力のある演奏をするためには、有効な手段だと考えており、先の指導者コースに、朗読の練習も加えております。あくまでも、表現力を高める練習法としてです。
ピアノ演奏でも、このように朗読する時と同じ気持ちでできた時、いちばん弾き易い手の動きが自然に見つかるのです。もしかすると、無意識に気持ちが手の動きに現れたのかもしれません。
私には、ツィーグラーがきっとそう伝えたかったに違いないと思えてなりません。
だとすると、私が上述した15.で書いたこと、またその続きの「ディーナ・ヨッフェ先生語録」とも通じあうのではないでしょうか。
芦屋でピアノ教室を運営する「ピアノレッスンクリニック芦屋」でも取り入れている海外ピアニストたちの奏法、「ロシアピアニズム」・「指歩きピアノ奏法®」は、様々なスポーツと同様に無駄な力を一切使わず、主に手や腕の重さを必要に応じて鍵盤にかけることで、音量も音質も自由自在に変えることができる重力奏法です。
そのため思い通りに芸術的な表現力をもった演奏が可能になるのです。
ロシアピアニズム・「指歩きピアノ奏法®」は、このように運動の法則に適合した、
多くの海外ピアニストたちが使っている、
現代における最も理想的な奏法なのです。
大野氏によれば、ドイツでも最近、積極的にロシアピアニズムで教える教師を招いているとのことなので、現代最高峰の奏法といっていいでしょう。
この現代最高峰であるロシアピアニズム・「指歩きピアノ奏法®」でレッスンを受けてみたい方へ、無料体験会を開催しますので、詳細はこちらをご覧ください。
現在ではインターネットが普及し、様々な情報を参考にしながら自分で考え、工夫して学習することができるようになりました。
かつては自分の先生からの情報しか得られなかったため、先生の言われることが正しいと信じるしかありませんでした。
この大きな時代の変化によって、従来のハイフィンガー奏法に固執し、全国の音楽大学などで安住しているピアノ教師たちの淘汰が進んでいけば、どれだけ多くのピアノ学習者たちが助かることでしょう。ようやく日本のピアノ教育界の夜明けがやってきました。
芦屋でピアノ教室を運営する当教室は、少ない練習量でより速く上達していただけるよう、日々指導法に工夫を凝らしています。またこの指導法を出来るだけ多くの方々に引き継いで頂きたいと思っております。
これまでなかなか上達しなかったとお悩みの方。
海外のプロピアニストの弾き方を学ばれたい方。
ご自分の思い通りに弾けるよう音楽表現力をつけたい方。
ぜひ一度、ピアノレッスンクリニック芦屋の「プロフェッショナルコース」ページをご覧ください。
何事にも成功する「やり方」があります。その方法をお伝えすれば、驚くほど短時間の練習で弾けてしまうだけでなく、プロのように音楽的に楽しみながら弾けるようになります。
プロピアニストの方々が弾かれる手の使い方には、実に簡単に弾けるコツがあるのです。
ブログの初学者Tさん、0から始めて1年以内に「素直な心」と16分音符ばかりのバッハ平均律1番前奏曲を「美しい音色」で弾かれている壮年の方にそれをお教えしたら、そのたびに、
「こんなに楽に弾けるのですか!」と、いつも感動され驚かれています。
一流のピアニストの方々は、短時間で数多くのレパートリーを練習し、また速く弾くことも簡単にできてしまうのは、この弾き方を使っているからなのです。
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